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鹿児島地方裁判所 昭和60年(わ)24号 判決

主文

被告人を無期懲役に処する。

未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入する。

理由

(被告人の身上経歴及び犯行に至る経緯)

一被告人の身上経歴

被告人は、鹿児島県国分市内の中学校を卒業後、いつたん愛知県春日井市に出て大工見習いとなり約一年間働いたが、やはり高等学校に進学しようと考え、国分市に戻り、同市内の建設会社で大工見習いとして働きながら定時制の実業高等学校に入学した。しかし、同校三年生のころ、学校が面白くなくなり、被告人は同校を中途退学して、昭和四七年ころ上京し、喫茶店の従業員などをしているうち、車上盗等の窃盗事件を起こして懲役一年、三年間執行猶予の判決を受けるに至り、そのため神奈川県平塚市に移つて運転助手等として働くようになつたものの、再び窃盗罪を犯して懲役一年の刑を受けたが、幸い再度その刑の執行を猶予されて同五〇年七月再び国分市に帰つてきた。その後、被告人は、同市内で大工として働き、その間同五二年に妻雪子と結婚して家庭を持つたものの、今度は保険金詐欺を狙つて有印公文書偽造、同行使、詐欺未遂事件を起こして実刑に処せられ、その後昭和五七年五月にも傷害等の事件を起こして懲役一〇月に処せられて服役するなど刑務所への入出所を繰り返し、右傷害事件で服役していた鹿児島刑務所を同五八年九月一日に出所した後は、一時健康器具の販売に手を染めたこともあつたが、主として家屋の修繕や増改築などの注文を取つて回つてはそれを他の大工に請負わせて商売をするいわゆるこそくり大工をして生計をたてるようになつた。

二被告人が被害者甲野花子から七五〇万円を受領した経緯

被告人は、昭和五九年初めころ、大工仕事の注文も思うように取れなくなつたため、後記判示第二の犯行を思い立つとともに、以前アルミサッシの注文取りに回つている時に顔見知りとなつていた鹿児島県国分市○△四五七〇番地二に居住していた甲野花子(当時六六歳、以下、花子とも言う。)が一人暮らしの老女であり小金を持つているかも知れないと思い付いて、同女から少しでもその金を借りようと思い立ち、同年五月ころ同女方を訪ねたが、その時は同女から体よく断られて金を借りることはできなかつた。しかし、その後、同女から、「また遊びに来るように。」などと電話をもらつたことから、被告人は同年の秋ころから同女方に出入りをするようになり、その話相手になつたり、同女を市街地まで車に乗せて行つたりしたため、次第に同女から頼りにされるようになつた。ところが被告人は、そのころ大工の仕事は全く注文が取れなくなり、また、共稼ぎをして家計を助けていた妻雪子が出産のため翌六〇年一月下旬に仕事を辞めたことも重なり、同年二月末ころには、そのころ出産した三女の出産費用一七万円余の支払いはおろか生活費にも事欠くようになつたほか、これまで妻には内密に借り受けていたいわゆるサラ金会社や信販会社への借金返済にも追われる状態となつた。そこで、被告人は、そのころから益々ひんぱんに花子方を訪問しては同女の歓心を買い、その信頼を得て同女から何とか金を引き出そうと、同女に対し手相占いをしてやるなどと言つては、以前に同女から聞いていた話をもとにして、「おばさんは血圧で悩んでいるのではないか。内臓に疾患があるのではないか。」とか、同女の夫が倒れた場所を指して、「おばさんの御主人が倒れたのはここじやないか。」などと申し向けて、病気のことや夫が倒れた時の様子を被告人に話したことをすつかり忘れていた同女を驚かせ、その信用をかちとり、そのうえで、同女が知人の乙山一郎に四四〇万円の金を貸していること、その取立てに悩んでいることなどを聞き出した。被告人は、その貸付額が意外に多額なことに驚くとともに、花子は思いのほか大金を持つているのではないかと気づいて、そうであれば同女に代つて乙山から貸金を取り立ててやれば、その一部でも自分に回してくれるのではないかなどと考え、同女に、「私が取り立ててみよう。」などと申し出てこれを承諾させるに至つた。そこで、同年三月一一日被告人は、花子を連れて前記乙山一郎方に乗り込み、同人に四四〇万円の返済を強く迫つて、とりあえず二〇万円を返済させるとともに、残額を月一〇万円宛分割返済するよう約束させて花子を喜ばせ、そのうえで、以前同女に対して「おばさんは年内に倒れる。」などと出たら目な占いをした際「裁判所で代理人を選任しておけばいつでも金を引き出せるから心配がいらない。」などと申し向けていたことを利用して、「裁判所に出す書類には通帳ごとの委任状がいる。」などと言つて、同女に銀行や郵便局などの五通の通帳を出させ、その結果、同女にはおよそ五、六〇〇万円の預貯金があることを調べ出した。そこで、被告人は、何とかそれらの金を同女から引き出せないかと考え始めるとともに、当日はとりあえず同女に対し、「ここ最近仕事がなく、三女の出産費用も払えないでいる。一〇〇万円程貸してくれませんか。」と借金を申し込み、右乙山からの貸金取立ての件もあつて被告人に全幅の信頼を置くようになつていた同女の快諾を得て、翌一二日同女方において国分市農業協同組合からおろしてきた一〇〇万円の交付をうけてこれを借り受けた。その後、被告人は、さらに同女の自らへの信頼を強めて、残る同女の預貯金等を引き出そうと、無断で花子の印鑑を入手し、そのころ同女から印鑑を紛失したと聞くや、占うふりをしてその落ちている場所を指示したり、その後、あたかも占いで指摘した場所からみつかつたように装つて同女に印鑑を手渡すなどしたりして、同年五月半ばころには、被告人は同女から「よく当てる占い師がいる。」「神様みたいな人だ。」と近所の者に吹聴されるほどの盲信に等しい信頼を得るようになつた。そこで、被告人は、同年五月一二日花子に対し、乙山に対する貸金を一括して返済させようと持ちかけ、同女にその旨の委任状を書かせたうえ、同日さらに同女に対し、「最近仕事がでてきた。今度姶良郡に営業所を作る。投資してくれんか。金を貯金しておくだけでは死金だ。投資すれば見返りもある。五、六〇〇万円投資しやんせ。」「おばさん、私は今まで嘘を言つていないでしよう。私を信じなさい。」などとしきりに申し向けてついに同女の了解を得、翌一三日国分郵便局から引き出させた五〇万円を同日花子方で受け取り、さらに、同日夕方には前記委任状を持つて乙山方を訪れ、花子が近く福岡に引上げるからと嘘を言つて貸付残金四〇〇万円の一括弁済を強く要求し、その結果同人から三日後の同月一六日右四〇〇万円の一部として花子方に一〇〇万円を持参させることに成功した。次いで、被告人は、翌一七日花子と共に国分郵便局、鹿児島相互信用金庫国分支店、鹿児島銀行国分支店、旭相互銀行国分支店、国分市農業協同組合などを回つて、同女の預貯金合計四六一万円余を解約させて引き出させ、その中の四〇〇万円と前日に乙山が持参してきた弁済金一〇〇万円とを合わせた五〇〇万円を事業投資名下に花子から受け取り、さらに同月二四日被告人は、乙山が再び持参した弁済金一〇〇万円についても、「おばさんこの金も投資しやんせ。」と勧めて前同様投資名下にこれを受け取り、結局同月一二日から同月二四日までの間に、投資名下の合計六五〇万円と、三月一二日の借金一〇〇万円とを合わせて合計七五〇万円の金員を借用証も作成しないまま入手するに至つた。

三花子を自殺に追い込んで七五〇万円の返還を免れようと計画するに至つた経緯

被告人は、同年五月二四日ころまでの間に花子から借り受けた合計七五〇万円の金員で前記出産費用や電気、ガス代の滞納分、さらにサラ金会社や信販会社などに対する債務合計約一七〇万円余を返済するとともに、八〇万円を妻雪子にこれまでの仕事の金が入つたなどと申し向けて手渡したり、他人名で自己の口座に一〇〇万円振込んだりしたほか、二〇〇万円を友人に架空人名義で預金することを依頼したり、また、一部を車のシートに隠し持つたり、テレビ、ビデオデッキ、外国製のライター、靴などを購入したりしていたが、やがて、花子が自分を信頼したのも出たら目な占いなどによるものであるうえ、同女に申し向けたような「最近は仕事が出てきた」という事実もなく、会社を作つてもその成功の目処などは全くなかつたばかりか、投資名下に交付を受けた金もその多くを既に借金の返済や生活費などに流用してしまつて返済するあてもないことなどをあれこれ考えるうち、これらの事情はいずれ花子にも判明するであろうし、そうなれば同女から直ちに右借金の返済を迫られ、また警察に通報されるかも知れない、ならば、花子さえ死んでしまえば右の心配は全てなくなり、七五〇万円の借金についても借用証がないので、花子の遺族には、花子から養子になつてくれと言われてもらつた金だと押し通すこともできるなどと思い立ち、さらに花子を死なせるについては自ら手を下すよりは同女を自殺に追い込んで死なせてしまえば殺人罪に問われることもないのではないか、花子は自分の言うことは盲目的に信じるようになつており、同女は世間知らずで心配症の老女であるから、騙したり脅したりすれば何とか同女を自殺に追い込むことができるのではないかなどと考えるに至つた。それとともに、被告人は、その具体的な方法として、花子が乙山に金を貸していることをとらえて、これが出資法という法律に触れると欺き、さらに、警察に連れて行かれる、刑務所に入らなければならないなどと同女を脅したうえ、警察の追及を逃れさせるという口実で同女をその住いから連れ出して引き回し、その間に同女を自殺するよう仕向けようと決意した。

四被告人が花子を連れ出して諸所に同行した経緯

1  被告人は、右のように花子を自殺に追い込んで七五〇万円の返還を免れようとの計画を立てるや、同年五月二九日夕方花子方を訪れ、当時身体が不調で気落ちしていた同女に対し、「おばさん、実は出資法という法律があるんだが、人に無断で金を貸せば出資法という法律にひつかかる。私に貸した分は投資だからよいが、乙山さんに貸した分はこれにひつかかる。警察に事情をきかれるのはどうしようもない。警察の調べはきつい。」などと申し向けて、法律に無知な同女を不安に陥れ、驚いた同女から、「そんなことになれば私は病気を持つているし耐えられない。何とかなる方法はないだろうか。」と頼まれるや、「そんなら私の知り合いの警察の人にでも聞いてみようか。」と応じて一旦同女方を退去したものの、同日夜再び同女方を訪れ、同女に対し、「警察は一応事情を聞いてみんといかんと言つた。罪になつても三か月か四か月刑務所に入れば出てこれるが。警察は今日来ると言つたが、今日は考えさせてほしいと頼んできた。明日警察が来るまでにどうするか考えておけばよいが。」などと虚偽の事実を申し向けて同女の不安をあおりたてた。

2  翌五月三〇日午前七時ころ、前日の被告人の詐言におびえた花子は、親戚の丙川月子に架電し、泣き崩れながら、「今日八時に警察が来るようになつている。四か月刑務所に入らなければならないようになつているとあの人が言つた。それを考えると胃が痛くておりものがする。恥ずかしいことで部落の人には相談できない」などと訴えていたが、間もなく普通乗用自動車を運転して花子方を訪れた被告人は、再び同女に対し、「もう少ししたら警察が事情を聞きに来る。取調べを受けられますか。」と迫り、同女が「身体のことを考えると最後まで警察の取調べを受ける自信がない。」と答えるや、前記計画のとおり、「おばさん事情を聞かれるとまずいのであれば二、三か月家を留守にすればいいが。その間に私が何とか手を打つておくから。」などと巧みに申し向けて同女に家を離れることを強く勧め、既に恐怖と不安におののき、もはや頼れるのは被告人だけだと思い込んでいた同女がその勧めに応じるや、被告人は直ちに同女に外出の仕度をさせたうえ、被告人の運転する普通乗用自動車に同乗させ、花子の親族のいる福岡方面へ車を走らせ始めた。しかし、被告人は、このまま福岡へ行つて同女の親戚などに同女を会わせる訳にはいかないと考え、かつて同女から同女の甥や姪が学校勤めなどをしていると聞いていたため、これを種に、同女に対し、「おばさん、福岡へは行けないよ。警察は逃げたことがすぐ判るから福岡で捕まれば身内の人に迷惑がかかる。公務員は身内に前科者が出れば首になるよ。会社勤めの人もどうなるか判らない。」などと申し向けて、同女に福岡行きを断念させたところ、同女がそれでは昔住んだことのある長崎に行つてみようかと言い出したため、被告人もこれを承諾し、同日午後一時ころ、熊本県玉名郡長州町所在の有明フェリー乗り場に至つた。しかし、同所で突然花子が「家に大切なものを忘れてきた。取りに帰りたい。」などと言い始めたため、押問答の揚句止むなく鹿児島へ戻ることとし、同日夜一一時ころ花子方へ到着したが、被告人は花子が家に戻つたことが近所の人に判らないようにするため、同女に対し、「近所の人に見付かるとすぐ警察に捕まる。六月三日の日にまた来るからそれまで家でじつと隠れているように。」と繰り返し言い聞かせ、同年六月三日まで同女をその自宅に潜ませていた。

3  同年六月三日の夜被告人は、秘かに花子方を訪れたが、同女から、「ここにいると昼間人が来て呼んだりする。甲野さんと呼ばれたときは生きた心持ちがしなかつた。もうここに居るのは恐ろしか。ここにはいたくなか。」などと訴えられたため、同女を連れ出したときに利用しようと予め下見をしていた鹿児島県姶良郡隼人町松永五二二七番地にある木造平屋建の空家(以下、春山の空家という。)に同女を連れ出し、翌四日まで同女をそこに潜ませていた。その間、被告人は、同女の持つ残り一三〇万円の定期預金を逃走資金名下に引き出そうと企て、同日夜右春山の空家を尋ねた際同女に対し、「おばさん、もうこつちにはおれんよ。どこか遠くへ行かなければまずいよ。」と嘘を言つたうえ、「どこか遠くへ行つてアパートを借りるとしたら金がいる。おばさんお金持つている。」などと申し向けて同女に右預金の解約を承諾させた。

4  翌五日午前一〇時すぎころ、被告人は自動車を運転して、前夜花子を連れ出していた老人福祉センター前で同女を同乗させ、同女が旭相互銀行国分支店で右定期預金を解約して引き出してきたことを確認したうえ再び車を走らせ、途中同女から、「生れ故郷の福間を一目見せてくれ。」と言われたため、一旦は福岡県宗像郡福間町の近くまで車を走らせたものの、生れ故郷で同女の知人にでも出会うと困ると考え、前回同様「おばさん、どうしても福間へ行かなければいかんの。行けばそこで警察に捕まるかもしれない。そうなつたら私まで巻きこまれかねない。今更福間へは行かんでよいが。」などと申し向けて同女に「どうしても行かなければということはない。」と福間行きを断念させた。その際被告人はそろそろ同女を自殺に追い込もうと、「おばさん、どこかに部屋を借りようと思うけど人に会わずに生活していける自信があるな。」など申し向け、これに対し同女が、「兄弟にも会えないなら不安だ。」などと答えるや、一気に「おばさん、この先どこへ行つても不安があるなら、いつそのこと自殺する気になればいいやな。そうやれば警察に捕まるわけじやなし、前科もつくわけじやなし。誰にも迷惑がかからんし。」と迫つた。すると花子は、「それより他に方法がないなら、そうするしか仕方ないな。それなら長く暮らした鹿児島で死にたい。そのつもりでいますから鹿児島に戻つてくれんや。」と言つて自殺をほのめかしたため、被告人は花子の頼みに応じて鹿児島へ帰ることとし、同日夜は博多などを回つて車中で一泊し、翌六日午後五時すぎころ、再び前記春山の空家に同女を連れ戻した。そこで被告人は、同女に「おばさん、自分でちやんと考えておきやんせよ。又夜来るから。」などと暗に自殺を促したうえ、同女を空家に置いて自宅に引き返した。

5  その後同月一〇日まで被告人は毎日夜になると春山の空家にパンやジュースなどを持つて花子を尋ね、その都度「どうするかよく考えておきやいな。」などと申し向けて同女がはつきりと自殺を決意するのを待つたが、同女が被告人の思うように自殺を決意しないため、次第にいら立ちを覚え始め、同月一〇日夜には「いけんすいな。もう決めやらんな。あたいも色々忙しいど。」などと申し向け、その夜同女をモーテルへ連れて行つて風呂に入らせた際も、「おばさん、いけんしやんな。このままずるずるしていたらどうしようもない。自分で早くどつちにするか考えてくいやんせ。あたいはおばさんに縛られつぱなしじや。おばさんはもう家にも帰れんし身内に連絡することもできん。身内に迷惑がかからんようにしなければ。」などと自殺を決意するよう執拗に申し向けたところ、同女から再び「そんならもう一回福岡へ走つてくいやんな。」と頼まれたため、止むなくそれを承知し、翌一一日夜同女を乗せて再び福岡方面へ車を走らせた。車中、被告人が同女に対し、前同様「福間へは行けない、行くと身内に迷惑がかかる。」としきりに申し向けたため、翌一二日朝になると同女も福間へ行くことを断念したものの、今度は、「出雲へ走つてくれませんか。亡くなつた父さんが出雲へ行つてみたいと言つていた。」と言い出したため、被告人は同女が出雲を見たら自殺してくれるかも知れないと思い、出雲大社へ向つて車を走らせ、同日午後出雲大社を参拝した。しかし、なお同女が自殺する気配を示さないため、被告人はひとおもいに同女を近くの崖から海へ突き落して殺害しようとまで考えたが、やはり自分の手を汚さないで目的を遂げようと思い直し、松江、米子を回り、翌一三日夜鹿児島へ帰りつき、再び前記春山の空家へ同女を潜ませた。

6  同月一五日朝自宅にいた被告人は、鹿児島県国分警察署の警察官の訪問を受け、花子が行方不明になつている、行方を知らないかなどと尋ねられたため、五月末に花子を車に乗せて隼人駅まで連れて行つたがそこで車から降ろした、後のことは知らないなどと言つてその場は逃れたものの、予想外に早く警察官が来たことに慌て、このままでは今迄の努力が水の泡となり、花子が発見されれば自分が処罰を受ける破目になると焦り、今日こそはどうしても同女に自殺を決行させようと考えて、同日午後二時ころ、春山の空家に赴き、同所で同女に対し、「おばさん、今日警察が私の所におばさんを尋ねて来た。もうどう仕様もない。自分もこれ以上関わり合つておれなくなつた。自分もぐるだと思われているようだし、もう福岡などへも連れて行けんようになつたので、もう自分ですることは決めやらんな。逃げる気持を捨ててしまえばよいが。いつそのこと自殺でもしやらんな。後は心配せんでもよかごとしてやるから。ここにも、もうすぐ警察が来るかも知れんから、もう他に行くところはなかが。これ以上いけんすつとな。」などと嘘を言つて同女を脅し、同女に強く自殺を迫つたところ、同女が、「それなら大河原の山のところに小屋があるからそこへ連れていつてくれますか。そこでよく考えてみますから。」と言い出したため、とりあえず同女を連れて鹿児島県曽於郡財部町の大河原へ向かつた。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一同日(昭和六〇年六月一五日)午後三時ころ、甲野花子(当時六六歳)を被告人の運転する普通乗用自動車に同乗させて前記財部町の大河原に至つたが、同所には同女が言うような小屋が見当たらなかつたため、これを奇貨として、同所において、同女に対し、「おばさん、小屋もなかし、あとはいけんすつとな。もう春山にも帰れん。家に帰つて警察に捕まり近所の人から白い目で見られて連れていかれて取調べを受けてもいいですか。そうなつたら身内に迷惑をかけ、学校を辞めさせられたり会社を首になつたりした人の面倒を見させられたうえ、兄弟から馬鹿にされたりする。それでも家に帰つて行く気持があるのですか。」などと、同女にはもはや行き場のないことを強く申し向け、さらに、「私のところの迷惑も考えて下さい。家族のこともあるし、おばさんの面倒を見るどころではないですよ。」と同女の唯一の頼りとしていた被告人自身も同女を見放したことを告げて、「おばさん、もう決めんな。それともこの山の中で一人で暮らしていきやつですか。」などと強く自殺を迫つたところ、同女から「この小屋がなかごとなつていればもういけんもできんなあ。どつかで農薬を買えるところはなかですか。それを飲んで死ねるものなら。皆さんに迷惑をかけたのだから。」と農薬自殺の決意を知らされたため、遂に同女が思惑どおり自殺を決意したと安堵し、このまま同女を自殺させて同女の被告人に対する前記七五〇万円の返還請求権の行使を不能ならしめてその債務の支払いを免れようと決意し、同日午後四時ころ、同女を前記自動車に乗せて、途中見つけた鹿児島県姶良郡牧園町高千穂三八六四番地九一所在の「高千穂薬品」に立ち寄り、同店からマラソン乳剤原液入りの瓶一本(マラチオン一〇〇cc入り)を購入して同女に手渡し、同日午後五時ころ、一度同女を連れていつたことのある同県同郡隼人町朝日字高塚七三七番地一五所在の造成地跡地に至り、同地山林内にあるコンクリート製貯水槽の上まで同女を先導し、その場で正座した同女を見るうち、右マラチオン入りの瓶を取り出して蓋を外し、これを両手に持つて飲もうとした同女がその口先約五、六センチメートルのところで一瞬飲むのを躊躇したのに気づき、同女の左横に坐つて、「おばさん、ここまできたら躊躇しても仕方ないよ。」と言いつつ、その瓶を持つた同女の両手を自らの左手で下から押し上げて、その瓶の口を同女の口に押し当てさせ、意を決した同女に右マラソン乳剤原液約一〇〇ccを嚥下させ、そのころ、同所において、同女をして、マラチオン中毒により死亡させて殺害し、もつて、同女の被告人に対する前記七五〇万円の返還請求権の行使を不能ならしめて右債務の支払いを免れ、右金額相当の財産上不法の利益を得

第二学校の教師の妻である丁村春子(当時三九歳)と同女が働いている会社の社長である戊木二郎(当時六〇歳)が人目を忍んでモーテル「シルエット」などを利用し情交関係を結んでいるのを知り、これを種に同女らから金員を喝取しようと企て、

一昭和五九年四月五日右丁村春子に電話をして呼び出し、鹿児島県姶良郡隼人町見次五五七番地四所在の喫茶店「アンジ」の駐車場内に駐車中の同女の軽四輪自動車内において、同女に対し、「シルエットでのあんた達の肉体関係を写したフィルムがある。それを買つてもらいたい。二人の声も録音している。」「五〇万円だ。」「奥さんの主人は公務員で女の子は北海道の大学と鹿児島の短大へ行つているだろうが。」「お金を出してもらえなければ、こちらにも方法がある。お宅の職場へ行つて話をしてもいいですよ。」などと申し向けて金員の交付を要求し、同女をしてもしその要求に応じなければ右戊木との関係を夫や職場に公表されてその名誉を傷つけられるばかりでなく、家庭生活も破綻してしまうと畏怖させ、よつて、同月七日、同県大口市里七五〇番地一所在の株式会社寿屋大口店第一駐車場において、同女から現金五〇万円の交付を受けてこれを喝取しようとしたが、通報により臨場していた警察官に職務質問されて逃走したため、その目的を遂げず、

二同六〇年三月五日ころ、同県姶良郡福山町福地九六二番地所在の福地公民館付近を進行中の前記戊木二郎運転の普通乗用自動車に気づくや、直ちに同人に合図して右公民館先の路上に停止させ、その車内に乗り込んで、同人に対し、「丁村さんが可愛かつたら俺の要求を呑め。丁村さんの御主人も社長さんも地位があるから二人の関係がばれれば双方が困るだろう。解決しようじやないか。」「金だ。一〇〇万円だ。」などと申し向けて金員の交付を要求し、もしその要求に応じなければ、同人の名誉、信用にいかなる害を加えるかもしれない気勢を示して脅迫したが、同人にその支払いを拒絶されたため、その目的を遂げず、

第三前記丁村春子に関心を抱いて同女と右戊木とを別れさせようと考えていたところ、同人が丁村春子に相変らず電話をかけてきたりすることを知つたため嫉妬心にかられ、同女に命じて、同五九年八月二二日午前一〇時すぎころ、戊木を同県同郡隼人町見次一〇七七番地三所在の喫茶店「デリシャス」に呼び出させ、同店において、丁村春子と話をしている戊木に対し、あたかも偶々居合わせたかのように装つて近づき、「お前はまだこの奥さんと続いているのか。」などと怒号して平手で同人の顔面を数回殴打する暴行を加えたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(争点に関する判断)

第一強盗殺人について

一訴因の解釈等について

1 弁護人の主張

弁護人は、その最終弁論において、検察官は本件起訴状記載の公訴事実を強盗殺人の間接正犯の主張であることを当然の前提として論告をし、また裁判所も同様の理解のもとに訴訟を進行させているけれども、本件起訴状の公訴事実から本件訴因を強盗殺人の間接正犯と理解することは極めて困難であつて、これを素直に読めば、被告人が花子の手を押し上げて農薬を飲ませたことによる強盗殺人の直接正犯の主張であると理解することの方がより自然である。そうであれば、右の点については、被告人は当公判廷でこれを否認しているため証拠上は捜査段階における被告人の自白しかないのであり、右自白を支える補強証拠も存在しないのであるから、被告人は無罪とさるべきである。さらに、直接正犯たる強盗殺人の訴因を間接正犯のそれとして認定するには訴因変更が必要であるところ、本件訴訟においてはその手続きが取られていないので、間接正犯としての強盗殺人の認定もなしえず、従つて、いずれの面からみても被告人は無罪とされるべきである、と主張する。

2 当裁判所の判断

弁護人が、本件訴因は強盗殺人の直接正犯の主張であると述べる具体的根拠は、犯行状況の核心的部分についての公訴事実の記載が、「躊躇する甲野花子に対し……同女の両手を下から押し上げてその瓶の口を同女の口に押し当て……右マラソン乳剤原液を嚥下させ」と表現されているところにあり、弁護人は、右記載を素直に読めば、被告人が花子の意に反して同人に強制的に農薬を飲ませたとの意味にとれるのであるから、これは直接正犯の主張に外ならないと言うのである。

ところで、右主張は弁護人の最終弁論においてなされたものであるところ、その主張の性格上はより早期になされるべきものであつて相当とも思われないが、一応次に当裁判所の判断を示しておくと、本件公訴事実には、右記載部分の前後において、先ず、被告人が花子に対して虚言を申し向けるなどして同女から七五〇万円の金員を交付させた経緯が記載され、次いで被告人が右金員の返還請求権の行使を不能ならしめようと考え、その手段として、「同女を自殺に追い込んでこれを殺害」することを企て、そのため同女を諸所に同道し、その間自殺を煽り、ついに「同女をして自殺もやむを得ないと思い込ませ」たうえ「同女をして右マラソン乳剤原液を嚥下させ」、その結果同女を「マラチオン中毒により死亡させて殺害し」たと記載されているのである。従つて本件公訴事実をその一部の文言にとらわれず素直にその全体を読めば、これが花子を欺罔威迫して錯誤に陥れ、同女をしてやむなく自殺させて殺害し、その債務の支払いを免れるという被害者の行為を利用したいわゆる間接正犯としての強盗殺人の主張であることは明らかと言わなければならない。弁護人が指摘する、被告人が「同女の両手を下から押し上げてその瓶の口を同女の口に押し当て」たとの被告人の行為は、右の目的を達するために、被告人が花子の手に自らの手を添えて早く農薬を飲むように花子を促したという意味の記載であるにすぎず、被告人が同女の意に反して強制的に農薬を飲ませたとの意味にはとうてい解し得ないものである。そして、間接正犯の場合、間接正犯者が被利用者の行為に自ら加担し、それを容易にするような所為に及んだ事実があつても、間接正犯者とその被利用者との間に利用被利用の関係が続いている以上、間接正犯者の正犯性が失われるものではないから、弁護人指摘の記載部分が間接正犯の主張と矛盾するものでないこともまた明らかである。

よつて、この点についての弁護人の主張は採用できない。

二被告人の供述調書の任意性、信用性について

1 被告人の公判廷における供述(以下の月日は、特に断りがない限り昭和六〇年)

被告人は、当公判廷において、自分は捜査当初本件は花子が農薬自殺をはかつたものであり、それを手伝つたにすぎないと主張していたところ、九月二四日の取調べの際、その取調べに当たつた検察官己本太郎(以下、己本検事とも言う。)から、「本件は単なる殺人ではなく強盗殺人の事案だ。強盗殺人の法定刑は死刑か無期しかない。求刑は主任検事である自分が裁量する。強盗殺人事件で庚江という被告人の場合は無期を求刑したが君の事案はそれより悪質だ。極刑相当の事案だ。今のような答弁では極刑に間違いない。君の態度如何で死刑も無期も私の考え一つだ。裁判所も求刑どおりになる。よく考えて極刑を免れたいならその様な話をせよ。」などと言われ、極刑とは死刑のことだと知つていた自分としては恐ろしくなり、死刑を免れたいため、翌二五日同検事が取調べ前に、「昨日は君の自白が欲しくて言いすぎた。昨日言つたことは全部撤回する。」などと前言を撤回はしてくれたものの、同検事の心証を少しでも良くしようと、その直後同検事に対し、花子の手に自分の手を添えて農薬入りの瓶を押し上げたとの虚偽の供述をし、また、その後の取調べに当たつても、同検事の言うがままに強盗殺人の故意を認めるなど虚偽の供述をしたものである、と言うのである。

2 検察官の主張

検察官は、被告人の検察官に対する各供述調書(以下、検面調書と言う。)はいずれもその任意性、信用性が十分認められるとして大略次のように主張する。

己本検事が九月二四日の取調べに際し、被告人に対して、本件は殺人ではなく強盗殺人である旨を説明し、強盗殺人の法定刑は死刑か無期懲役刑しかないこと、被告人の本件強盗殺人の事案は同検事が担当していた庚江良太の強盗殺人事件と対比して悪質で極刑相当の事案であること、被告人への求刑は主任検察官である同検事の裁量にあることを申し述べた事実は確かに認められるが、その他には被告人の主張するようなことは言つていないし、また極刑に間違いないなどと断定的なことも言つていない。同検事が右のように被告人に申し述べたのは、利益誘導の意図からではなく、被告人に事案の重大性を判つてもらい、真実の供述を得ようと考えたためであつて、なるほどその発言内容には一部穏当を欠くところもあるが、本件のような凶悪な事案で責任逃れに終始する被告人に対する発言としては、直ちにその供述の任意性を失わしめるような違法な取調べ方法であるとは断定できない。

さらに、己本検事は翌日被告人に対し、「自白が欲しくて言いすぎた。死刑になりたくないという気持から自白するのなら利益誘導となるから今までどおり否認のままでよい。本件が裁判所で強盗殺人になるかどうかは判らない。君の言うとおり自殺で終るかも知れない。」旨述べて安易な自白を警告し、供述の任意性、信用性を確保する措置をとつているのである。

その後の取調状況をみても、被告人は重要な点について同検事と対立しながら自らの主張を貫いているところが多々見受けられるのであつて、とうてい死刑が恐ろしくて検事の心証を少しでもよくしようと思い言われるままに供述したとは認められず、被告人の弁解は信用し得ない。被告人の検察官に対する供述は任意になされたものと認めるべきである。

また、被告人の検察官に対する供述は、他の証拠により認められる諸事実とも符合して信用性も十分認められ、被告人、弁護人がことに争うところの、被告人が農薬を持つた花子の手を押し上げたとの供述もそれ自体自然な供述であり、客観的状況とも合致する信用性の高いものである。

3 当裁判所の判断

被告人の検面調書については、弁護人は当初その任意性、信用性をともに争つたが、後にこれを撤回し信用性のみを争うに至つた。しかしながら、その信用性を争う根拠として主張する右1に記載の事実は供述調書の任意性についても十分問題となりうる事柄であるから、当裁判所としては、検面調書の任意性、信用性の双方について判断を示しておくこととする。

(一) 任意性について

九月二四日に己本検事が被告人に対して申し向けた文言の内容については、被告人と検察官との間で食い違う点があるけれども、〈証拠〉によれば、少なくとも己本検事が被告人に対し、①本件は強盗殺人である旨の説明をなし、②強盗殺人の法定刑は死刑か無期懲役刑しかないこと、③別件の強盗殺人事案と対比して本件はより悪質であり極刑相当であること、④求刑については主任検事である自分が裁量して決めることなどを申し向けて、被告人に真実を話すよう説得したことはこれを認めることができる。

ところで、検察官は、右己本検事の発言について、被告人を欺罔威迫する目的でなしたのではないと主張するが、同検事の右のような発言は、その真意にかかわりなく、供述者に対して同検事の意に沿うような供述をしなければ死刑を求刑する、意に沿う供述をすれば無期懲役刑の求刑ですましてやるとの趣旨と受けとられる危険性が極めて高い発言であつて、その内容も、死刑か無期懲役刑かという極めて重大な選択を供述者に迫るものであり、加えて、本件が極刑相当の事案であるとの発言は、己本検事の主観的な心情の吐露としては虚偽とまでは言い得ないものの明らかに誇張されたものであり、また、求刑を同検事自らが裁量するという発言についても、求刑が同検事の独断でなしうるかのような印象を与える点において虚偽を含んでいると言わざるを得ず、これらを全体として考えれば、威迫による利益誘導として違法な取調べ方法と言わざるを得ず、供述の任意性、信用性に影響を及ぼすものであると言うべきである。

検察官は、事案の重大性や被疑者が頑強に否認していることなどの事情が取調べの違法性を阻却するかのような主張をするが、取調べの違法性は、原則として取調べ方法それ自体について判断されるべきであり、事案の重大性や被疑者の取調べに対する対応如何によつてその違法性が左右されると解すべきものではない。

もつとも、前記各証拠によれば、本件においては、翌二五日己本検事は前日の発言内容が被告人の供述の任意性、信用性に影響を与えることを危惧し、取調べの冒頭に、「自分も昨日は君の自白が欲しくて言いすぎた。昨日言つたことは全て撤回する。求刑は高検次長と相談して決める。裁判では強盗殺人になるかどうかは判らない。あるいは君が主張するように自殺で片付くかも知れない。」などと説明し、被告人に対して「死刑が怖くて話をするのではないのか。」と何度も確かめ、「死刑が恐ろしくて話すのなら利益誘導の問題となるから話さなくてよい。」と述べた事実を認めることができる(以下、右一連の措置を本件是正措置という。)。

ところで、取調官がその取調べに際し供述の任意性を損なうとみられる違法な取調べをした場合でも、その直後においてこれを除去するための是正措置が取られ、違法な取調べがなされる前の状況に立ち戻るなど特別な事情があれば、その供述の任意性はこれを認めて差し支えないものと言うべきである。

そこで、本件において己本検事が取つた本件是正措置が二四日の同検事の違法な発言の影響を除去するに足るものであるか否かを検討することとする。

先ず、己本検事が被告人に対し、「昨日は言いすぎた。昨日言つたことは全て撤回する。」と言つたのみでは、その言うところがあまりに抽象的に過ぎ、従つてそれのみでは有効な是正措置たりえないのは明らかである。もつとも、同検事は、次いで、より具体的に「求刑については高検次長と相談して決める。本件が裁判所で強盗殺人として認められるか否かは判らない。君のいうとおり自殺で終るかも知れない。」と述べており、これによれば求刑が同検事の独断でなされるとの被告人の錯誤は是正され、また本件が死刑相当であるか否かについての被告人の誇張された認識もまた是正されたものと認めるのが相当である。しかしながら、本件の場合被告人の錯誤を取り除くに足る是正措置がとられたことのみでただちに供述の任意性が回復されたとは断じがたいところがある。何故ならば、右是正措置によつて、己本検事が独断で求刑するのではないことは被告人に了解されたとしても、同検事が求刑に関与することには変わりはなく、また主観的にであれ同検事が本件を死刑相当の極めて悪質な事案として把らえているということは、事実として被告人に強く印象づけられているともみられるのであつて、そうである以上同検事の意を迎えてその心証をよくしなければ死刑を求刑されるかも知れないという不安は被告人の心理から払拭されないまま残つているのではないかという疑いがあるからである。それ故、結局本件の場合は、例外として、右是正措置がとられた後の取調状況をも検討し、実質的に供述の任意性が回復されているか否かを検討しなければならない。

そこで己本検事が本件是正措置を取つた後の取調状況をみると、前掲各証拠によれば、次の各事実が認められる。

① 九月二五日本件是正措置を取つた後、己本検事が被告人に対し「死刑が怖くて供述するのではないか。」とたしかめた際、被告人はその不安を否定して「話すべき時期に来ている」と述べたこと、

② ところが被告人は、その日己本検事に詳細な供述をすることを拒み、先ず国分署の中村警部補に話をさせてくれと申し出、それならば結論的なところだけでもきかせてくれという同検事に対し、「(農薬を)最初自分が飲ませたあと花子さんが一気に飲んだ。」との供述のみをしたこと、

③ 当時の己本検事の本件についての心証は、花子は農薬自殺をしていない、被告人によつて本件犯行現場とは別のところで殺害されたうえ本件現場に死体を遺棄されたものであつて、農薬は自殺を偽装するため被告人が花子の死体にふりかけたにすぎない、というものであつて、花子の死は農薬を自ら飲用したことによるものだと主張する被告人と対立した状態にあつたため、被告人の右供述内容にがつかりした同検事が「本当にそんな結論か。」と言つたのに対し、被告人は「検事さんが満足されるかどうか判りませんが、ともかく中村警部補に一から話させてくれ。」とその態度を変えなかつたこと、

④ 国分署に帰つた被告人は、翌二六日中村警部補の取調べを受けたが、己本検事に対してと同様花子が農薬を飲む時手を添えて農薬入りの瓶を押し上げたことを供述したほかは同女は自殺であるという供述を変えず、そればかりか花子は自殺に際し遺書を三通書いているという花子の自殺を強く補強する事実を述べるとともに、被害者を連れだしたのは乙山一郎から残金を取り立て易くするためだと新たな弁解まで始めて、中村警部補と対立したこと、

⑤ それ以後九月二七日からの連日にわたる己本検事の取調べに際しても、被告人は、花子は自ら農薬を飲んで死亡した旨の供述を一貫して貫き、また同女を自殺に追い込んで殺害しようとしたとの殺意は自白したものの、犯行を決意した時期や前記遺書三通の存否、花子の死体の傍らに落ちていた寿司の空パックが被告人によつて花子に与えられたもののパックか否か、花子に手を添えて農薬を飲ましたと言うが真実は被告人が強制的に飲ましたのではないか、大河原の小屋などはもともとないのを知りながら花子を心理的に追い込むためにわざと連れて行つたのではないのかなどの点についても被告人は己本検事と対立し、遺書三通の件を撤回したことを除いては右の己本検事と争つた点について最後までその主張を貫いていること、

以上の各事実が認められるので、これらに照らし果たして前記検察官の違法な取調べが供述の任意性に影響を与えているか否かを検討すると、先ず、右①、②に認定のとおり被告人は二五日に己本検事から何度も「死刑が怖くて話すのではないか。」と確認されたのに対しいずれもそれを否定して話すべき時期にきたから話すと述べ、しかも同日己本検事に直接詳細な供述をすることを拒んでいるのであつて、このような被告人の態度は己本検事に威迫されて同検事から死刑の求刑をされるのを恐れていたと言うにしては甚だ不自然な態度であることは否めない。また、その後の中村警部補及び己本検事に対する被告人の供述内容も右③、④のとおり、決して捜査官の意に沿うようなものとは言えない。そればかりか、右④に認定のように、自己の主張を支えるため遺書三通があるという供述をするなどして中村警部補と対立しているのである。加えて、右⑤に認定のように、被告人はその他の重要な点についてもことごとく己本検事と対立して、結局は自らの主張を貫いているのである。このような被告人の供述態度は、とうてい己本検事の意を迎えてその心証をよくするために言われるままに供述したとの被告人の前記弁解と整合しないものと言わざるを得ない。

以上の諸点に加えて、被告人は九月二四日己本検事から、前記認定のように、自白を迫られながらその日は直ちにこれに屈服することなく「これまで述べたことは本当です。」と従来の供述を変えなかつたことをも併せ考えると、そもそも被告人が二四日の己本検事の威迫によつて覚えた不安というものはさほど強いものではなかつたのではないかと思われ、以上によれば、己本検事がとつた二五日の本件是正措置によつて同検事の二四日の発言が及ぼした供述の任意性への影響は実質的に払拭されているものと見るのが相当である。

よつてその後の被告人の一連の検察官に対する供述の任意性はこれを認めて差し支えないものと言うべきである。

(二) 信用性について

次に、被告人の検面調書の信用性については、被告人が特に争う点は後に項を改めて検討することとし、ここでは先ず被告人の検面調書全般の信用性について触れておくこととする。

被告人が九月二八日以後検察官に対して供述する本件犯行の一連の経緯のうち、他の証拠により裏付けられるものを摘記すれば次のとおりである。

(1) 先ず本件犯行前約半年間の被告人の生活状況について、被告人は、「昭和五九年秋ころからは大工の仕事は全くなく、そのため三女の出産費用も払えず、花子から金を借りる以外になかつた」旨その困窮ぶりを供述しているが、このことは、被告人の妻であつた辛田雪子の、昭和六〇年一月ころは被告人はもつぱら大工の注文取りに行つていた。右雪子が共稼ぎで働き一か月約六万円の収入があり食べるのに困るほどではないが生活に余裕はなかつた。その後右雪子が同年一月に出産のため仕事をやめてからは生活に困窮するようになつた旨の供述(前記証拠の標目中に表示した検察官証拠請求番号一五一番、同一五七番の証拠。以下、検などと略記する。)と一致し、また一月一〇日当時の被告人方の預金残額が僅か七万円程度にすぎなかつたこと、(検)、国民金融公庫はじめ信販会社に対する月々の支払いが合計約八万円あつたこと(検、、)、二月二五日に産院で出産した三女の出産費用が三月一二日まで支払われなかつたこと(検)、丁村春子に対し二月又は三月ころと五月ころに二度にわたり借金を申し込んでいること(検)、いわゆるサラ金から昭和五九年一〇月二五日に二〇万円、一月一〇日に一五万円、二月四日に二〇万円それぞれ借り入れをしていること(検、、)などに照らしても本件犯行前は経済的に困窮していたとの被告人の前記供述は十分信用するに足るものである。そして被告人が右のように窮迫した経済状態にあつた事実は「花子に金を借りるしかないと思い、二月末ころからひんぱんに花子方を訪問するようになつた。また、同女の信頼を得るために出たら目な占いなどをした」旨の被告人が花子に近付いた目的並びに同女を欺罔した目的についての被告人の自白の信用性をも裏付けるに足るものと言うべきである。

(2) 次に被告人は、花子の信頼を得るため同女の乙山一郎に対する貸金を取り立てたり、同女の病気のことや同女の夫が倒れた状況を占いで当てたように装つたり、また同女が紛失した印鑑を占いで捜し出したように装つたりしてついに同女の盲目的信頼を得た旨供述するところ、乙山一郎から貸金を取立てる経緯についての供述は、その相手方である乙山一郎(検、など)及び乙山夏美(検)の供述と一致し、また借用証(検)、約定書(検)及び領収書(検、)など物的証拠によつても十分裏付けられているところである。さらに占いなどで花子の信頼を得るに至つた点については、花子方の近所に住む亀沢イネ(検など)、野間カツ(検、)及び永山ハマ(検)らの「当時花子は『よく当る占い師がいる。辛田という名前だ。その人は自分の病気のことや主人が倒れた場所を占いて当てた。また印鑑を占いで捜してくれた。』と言つていた、花子はその人のことを神様のように話していた。」との趣旨の供述や、現に花子に頼まれて紛失した印鑑を捜すのに同道した井上操(検)の供述と合致している。

(3) さらに、被告人が三月一二日から五月二四日までの間花子から合計七五〇万円の金員を受領したことについては、花子が三月一二日に国分市農業協同組合から一〇〇万円(検)、五月一三日に国分郵便局で五〇万円(検)、五月一七日に同郵便局(検)、鹿児島相互信用金庫国分支店(検)、鹿児島銀行国分支店(検)、旭相互銀行国分支店(検)及び国分市農業協同組合(検)から合計約四四一万円余の預貯金を引き出している事実並びに乙山一郎が五月一六日と五月二四日にそれぞれ一〇〇万円ずつ花子に借金を返済し(検、、)ている事実と、被告人の「三月一二日に一〇〇万円、五月一三日に五〇万円、五月一七日に乙山が前日持参した一〇〇万円と花子が金融機関などから引き出してきたのと合せて五〇〇万円及び五月二四日に乙山が持参した返済金の一〇〇万円をそれぞれ花子から受け取つた。」旨の供述とを対比すれば、被告人が金を受け取つた日時及び金額いずれの点においても一致しており、また、丁村春子の、「被告人は五月下旬ころから急に羽振りがよくなつた。今は金は貸すくらいあるなどと言つていた。」との供述(検)及び被告人の仕事仲間の市原正弘の「被告人は六月六日金は今泥にすてる位持つていると言つていた。」旨の供述(検)なども併せ考えると、被告人が花子から七五〇万円を受領した経緯についての被告人の供述は十分信用しうるに足るものと言わざるを得ない。

以上のとおり、本件犯行前被告人が経済的に窮迫した状況にありそれを打開するため花子から金を引き出そうと考え、乙山の借金を取り立てたり出たら目な占いをしてみせたりして同女の信頼を得て、七五〇万円に及ぶ金員を交付させた旨の被告人の自白は極めて信用性の高いものであると言うことができる。

(4) 次に、被告人が五月二九日に至り判示のように出資法違反などと花子を欺罔威迫し、翌三〇日同女を連れ出し諸所を連れ回つた一連の経緯についての自白の信用性について検討すると、右経緯については被告人と花子の行動が時間的にも地域的にも広範囲に及んでいるうえ、二人が人目につかないように行動していたことからその全過程を直接裏付ける第三者の供述や客観的事実は乏しい。しかしながら、そのうちいくつかの重要な点についてはこれを十分裏付け得る証拠が存するので、先ずそれらを摘記すれば、

① 被告人が五月三〇日花子を連れ出すについて「五月二九日に出資法に違反していると花子を欺き、翌三〇日に警察がもうすぐ来るなどと脅して連れ出した。」との自白については、花子の親族の丙川月子(検)、丙川一男(検)及び野間カツ(検)らの、「五月二九日花子に電話をすると花子は普段と異り大変心配そうな様子で『大変なことになつた。』と言つていた。」との供述或いは翌三〇日朝花子の前日の様子が心配で再度花子方に電話した右丙川月子、丙川一男の、「花子は泣きながら警察が八時ころ来る。四か月刑務所に入らねばならないと言つていた。」旨の供述と一致し、これらによれば、被告人の右自白は十分信用できるものであつて、被告人が五月三〇日自己の運転する自動車に花子を乗せて連れ出したことについても亀沢イネ(前掲)及び午山ハナ(検、)がそれを直接目撃しているのである。

② 次に、五月三〇日花子を連れ出して以後の行動についての被告人の自白については、先ず、被告人の妻であつた辛田雪子の五月三〇日以後の被告人の行動に関する供述(検、)と右自白が全体的に一致するほか、個々的にみても次のような他の証拠との一致がある。

五月三〇日にいつたん福岡方面へ行き同日夜鹿児島へ引き返してきたとの供述は、熊本県玉名市でハンバーガー店を経営する浜崎和子の、「(被告人の顔写真を確認したうえで)五月三〇日午後三時ころから午後四時ころの間被告人がハンバーガーを買いに来て今から鹿児島へ帰ると言つていた。その時車の助手席に年配の女性が乗つていた。」との供述(検)、またJAFの社員北岡勝広の「(被告人の顔写真を確認したうえで)五月三〇日午後六時三〇分ころから同七時二五分くらいまでの間国道三号線ぞいの日奈久ドライブインの前で被告人の車のファンベルトを修理した。その際車の助手席に六五、六歳位の(花子の顔写真を確認したうえで)花子と思われる女の人が乗つていた。」との供述(検)があり、いずれも同旨の被告人の自白と一致している。

その後花子を六月三日夜まで自宅に潜ませ三日夜から春山の空家へ移した後六月五日再び花子を連れ出し福岡から下関を経て同月六日鹿児島へ帰つた旨の供述については、被告人らを直接目撃した者の供述はないが、当時被告人が屋根のトタン替え工事を請負つていた黒木青果店の黒木シヅ子の、「被告人が六月五日朝一〇時頃やつて来て今から宮崎の現場を見に行つて来ますと言つて出て行き、翌六日午後再びやつて来て、宮崎へ行く積りが福岡まで行つてきた、一睡もしていない、などと言つていた。」との供述(検、など)及び右黒木青果店で働いた大工の市原正弘の同旨の供述(検、)が存在し、

六月一〇日から再び花子を連れ出し、福岡、下関を抜けて島根県出雲市、鳥取県などへ行き、六月一四日鹿児島へ帰つたことについては、六月一〇日先ず花子を風呂に入れるためにホテル「シャトー」へ行つたとの被告人の供述が右ホテルの経営者福満チミの供述(検)により裏付けられ、また、加治木町で寿司屋を営む福丸良一の「六月一三日午後一〇時ころ被告人が寿司を食べに来て福岡の帰りだなど話していた。」との供述(検)は、「六月一三日午後一〇時ころ鹿児島に帰り着き、加治木町のすし丸で一人で寿司を食べた。花子はその時外の車の中にいた。」旨の被告人の供述と一致し、被告人方近くのガソリンスタンドの店員甲田誠の、「被告人が六月一四日給油に来た際北九州に仕事に行き友達が鳥取(か山口)にいるので寄つてきた。二時間ぐらい寝ただけで1100キロくらい走つていると言つていた。」旨の供述によつてもこれが裏付けられるところである。

そのほか、花子が五月三一日から六月三日夜にかけて自宅に潜んでいたことについては、被告人は「六月三日夜花子に会いに行くと同女が、『昼間単車の人が来て呼んだ。車の人が来た。』と言つていた。」と供述しているところ、熊谷輝夫の、「六月三日午前一〇時ころガスの検針に花子方を車で訪れ『こんにちは』と声をかけたが留守のようだつた。」との供述は被告人の右供述を裏付けるに足るものであり、また、春山の空家に対する実況見分調書(検)によれば、同空家には毛髪、たばこの吸いがら、ジュースの空瓶や空缶があつて人がいた形跡があり、また戸外に旭相互銀行のティシュペーパー、六月五日から七日にかけて製造された印のあるパンやソーセージの包み紙などが落ちており、これらの事実からすれば、春山の空家にミキを潜ませていたとの被告人の供述も相応の裏付けを有するものと言うべきである。

加えて、右五月三〇日にミキを連れ出してから同女を殺害するまでの両名の行動の詳細については、右のように被告人が単独で姿を見せているところを除いては捜査官も全く見当がつかず、誘導すべき資料を持つていなかつたことが明らかである。それにもかかわらず被告人は、前記のように、折角連れ出したのに再び花子をその自宅に送り戻したり、検察官も全くその地理を知らない出雲大社やその付近での行動を詳述し、思いがけない春山の空家での生活や花子が一時車のトランクに入つたこと、ホテルに入浴に行つたことなど特異な事実を自白しているのである。そして何より最も重要でありながら捜査官が疑つていた花子自らによる農薬の飲用という被告人の自白が、鑑定の結果(検、)裏付けられるに至つているのである。

以上のとおり、被告人の自白は、これを裏付ける多くの他の証拠があり、それら証拠によつて裏付けられる供述の個々の点を言わば定点として、その前後の状況に関する供述を検討してみても、その間に格別矛盾や不自然な点はない。そのほか被告人自身後に検討する諸点を除いては特にその供述の信用性を具体的に争わないことや、前記認定のとおりの、否認すべき点は否認で通し、捜査官の追及に屈することのなかつた取調状況に照らしても、被告人の検察官に対する供述は全体として信用性の高いものと認めるのが相当である。

三強盗殺人罪の成否について

1 強盗殺人の故意

被告人が花子を殺害したのは、同女に対する七五〇万円の支払いを免れるためであつたことは、その旨の被告人の検察官に対する自白のみならず、①被告人は花子から借金あるいは投資名下に七五〇万円を受領したが、その返済の目処は勿論返済のための事業がうまく行くあても全くなかつたこと、②乙山一郎に金を貸したことは出資法という法律に違反しているなどと同女を欺罔威迫して五月三〇日同女をその住いから連れ出したこと、③同日から六月一五日にかけて判示のように花子を諸所に連行しその間花子に強く自殺をすすめたこと、④六月一五日に農薬を買い与えるとともに、自殺を決意した同女が自ら農薬を飲もうと瓶を口近くまで持つてきたその手に被告人の手を添えて押し上げたことなどからも十分これを推認し得るものである。

ところが被告人は右の各事実につき種々弁解し、強盗殺人の故意を争うので以下検討を加える。

(一) 七五〇万円の金員の趣旨

被告人は、七五〇万円の金員を受領したことは争わないものの、その受領の理由につき、当初はその大半はもらつたものであると述べていたが、当公判廷では最初の一〇〇万円は借金であり残りの六五〇万円は事業資金として投資してもらつたもの(もつとも、被告人の主張する投資とは実質的には借金であり単に事業資金に使う為に借りたというにすぎないと認められる。)であると強く主張するに至つている。右被告人の主張の趣旨は、七五〇万円は正当な理由のもとに交付をうけたもので騙取したというような後ろ暗い金ではないからそのことが負担になつて花子を殺害することを決意することはない、即ち、七五〇万円の返還を免れるために同女を殺害したものではないとの主張と見ることができる。

そこで関係各証拠によつて右七五〇万円が真に被告人の言う事業なるものに用いられたか否かを見ると、先ず、三月一二日に花子から借りた一〇〇万円を出産費用や、生活費などに充てたことは、右一〇〇万円はもともとそのようなものとして借りたのであるから格別異とするに足りないのであるが、その後事業資金名下に受取つた分のうち五月一七日に受取つた四〇〇万円は翌一八日直ちに合計一〇二万円を金融機関(検)、信販会社二社(検、)及びサラ金一社(検)に支払い、二日後の五月二〇日に合計約三二万円をサラ金二社(検、)に(以上合計約一三四万円)それぞれ支払つて従来の借金を一掃し、その余は妻雪子に生活費として八〇万円を渡し(検)たり、知人の松枝伸也に一旦二〇〇万円を預け、その後その内一五〇万円を被告人の三人の娘名義で五〇万円ずつ定期預金としていることが認められる(検、、ないし)。また、被告人方近くのガソリンスタンドの店員甲田誠の供述によれば、六月一日被告人の車のシートに二〇〇万円位の現金がおかれていたことが認められ、そのほか、六月八日に一台一七万円の農機具を実家の父に買い与えたり(検)、五月二九日にテレビ、ビデオを一六万五〇〇〇円で購入してその際一七万円渡して釣りはいらないと言つたり、さらに何を買うでもなく五万円電気商に預けたりしていること(検)などの費消状況が認められるところ、右のような費消状況は、六五〇万円は事業資金として借りた金であるとの弁解とはとうてい整合しないものであるうえ、そのころ、被告人がその弁解するような事業の資金として使用するなり、あるいはそのために預金するなりしたことを窺わせるに足る証拠は全く見当たらないのである。また、被告人に事業開始のための事務所開設を勧めていた野口勝己の供述(検、)によれば、「五月ころ被告人が急に金回りが良くなつたので、しばしば事務所開設を勧めたが、被告人は『もうあまり大工仕事はしない。これからは利権の方に精を出す。』などと言つて入会には全く応じてくれなかつた。」というのであつて、そのころ被告人には何ら具体的な事業計画すらなかつたと認めるのが相当である。

右の各事実に照らせば、被告人が花子から受領した金員は、借金の返済や生活費に費消するためのものであり、まさに被告人が検察官の追及をうけて捜査段階で自認したように、事業への投資を名目にして花子から騙し取つたに等しい金員であると言わざるを得ない。その他被告人は右金員の一部を仕事の金が入つたように装つて偽名で自己の口座に振り込んだり、子供名義で作成した前記三通の通帳も丁村春子や友人に預けようとしたり、現金を車にかくし持つたりして右金員の存在を妻雪子に隠そうとしていたことに照らしても、被告人自身花子から受領した右金員が後ろ暗い金であるとの意識を有していたと認められ、また、その額が多額であるにもかかわらず借用証書一枚すらも作成していないことからすれば、被告人が誠実に返済する意思をもつていたとは到底認め難いものである。

以上のとおり、判示の七五〇万円が正当な投資であるとの被告人の弁解は採用できず、ひいて、花子殺害と七五〇万円の同女への借金とは関係ないという被告人の弁解も信用し難いと言わざるを得ない。

(二) 五月三〇日から六月一五日までの経緯

被告人は、五月二九日前記判示のとおり花子を欺罔威迫して翌三〇日朝同女をその住いから連れ出し、以後六月一五日までの間諸所に同女を連行したという外形的事実については特段争わず、またその間被告人が花子に自殺をすすめたことも自認するところである。

ところが被告人は、当公判廷において、①五月三〇日花子を連れ出した理由は、事業計画などで忙しいときに同女が頻繁に被告人を呼び出すのでわずらわしくなり、二、三か月他所に行つておいてもらおうと考えたからであつて、花子を自殺に追いこんで殺害しようという目的で連れ出したものではなく、その旨の自白は虚偽である。②また花子を連れ出した後は同女が主導的に被告人を諸所に引つ張り回したのであり、決して被告人が花子を精神的に追い込むために連れ回つたのではない。③その間花子に自殺をすすめたのも、そのように花子に振り回されるのがわずらわしくなり、いつそ死んでくれたらと思い自殺をすすめたにすぎない。④その際花子から借りた金のことは頭になかつたなどと弁解する。しかし、①花子から呼出されるのがわずらわしいのであれば、同女にその旨を伝えて呼出しを遠慮させれば済むことであるにもかかわらず、被告人は一度も花子に対し忙しいから呼出さないでくれと言つたことがないと言うのであるから、被告人の言う当時忙しかつたという弁解自体信用し難いものと言わざるを得ず、現に、被告人の妻であつた辛田雪子は、「最後に甲野さんから電話があつたのは五月二二日ころで、そのあと甲野さんからは一回も電話はありませんでした。」と供述し(検)、同じく花子のかかりつけの医師田中和雄も、最近花子が来院したのは五月四日と同月二五日だけと言うのであり(検)、親族の馬場藤盛と出会つたのも昨年一〇月が最後であると言うのであつて、これらからしても花子は頻繁に被告人を呼出さなければならないほど外出を必要としていなかつたものと認めざるを得ない。更に、前掲野口勝己(検、、)、伊集院利昭(検)、水迫優(検)及び赤崎秀忠(検)の各供述によれば、被告人が具体的に会社づくりに着手したのは六月一六日に事務用品などを注文した時からであり、それまでは何ら具体的事業計画など存在せず、当然そのために時間が必要であつたとはみられず、また潤益夫の供述(検)及び司法警察員作成の捜査報告書(検)によれば、被告人は昭和五九年一〇月ころからは、六月四日から六日までの黒木青果店の屋根のトタン張替工事を除いては大工の仕事すらなかつたと認められるのである。そして何よりも一七日間に亘り花子を諸所に同行していることは忙しいと言うにしては不可解な行動であり、その間一度もアパートを借りようとさえしていないことなどに照らしても、右弁解は不自然であつてとうてい措信しえないものである。②また、五月三〇日以後の花子との逃避行が花子の主導によるという弁解については、そもそも花子としては被告人の欺罔、威迫により確実な身の寄せ所の目処もないまま止むなく家を出たのであつて、そのため、判示のとおり、親族のいる福岡県へ行くことを願つたにもかかわらず、これを被告人に押し止められたため、やむなく長崎あるいは鳥取等とその行き先を変えたのであつて、その行動は決して花子自らが好き勝手にしたものではない。かえつて、被告人が仕事や家族まで放つて花子に同道したばかりか、その間同女が親族などと接触することを徹底的に避けさせていたことなどからすれば、被告人は表面的には花子の言いなりになつているように見せて、その実は同女に、もはや落着き先はなく自殺しか取る道はないと思い込ませるために、その限りにおいて花子の言い分に従つて諸所を転々としたものと見ることの方がはるかに自然な見方と言わなくてはならない。③さらに、被告人が同女を連れ歩くのがやつかいになつて同女に自殺をすすめたという弁解についても、やつかいになつたのであれば同女を家へ帰すなり、春山の空家に放置するなりすれば足りるのである。それにもかかわらず、これを全くしないまま、やつかいになつたからといつていきなり自殺を慫慂するというのはあまりに異様であつて、とうていその弁解は措信しがたい。そして、なによりも右弁解は、出資法に違反していると欺罔、威迫して連れ出したことと矛盾しており、同女に振り回されて困るというのであれば、出資法違反の話が虚偽であると告げれば事足りるのである。④最後に、被告人は花子を引き回している間借金のことは頭になかつたというが、これが僅かな金額ならともかく、既にその借金額は七五〇万円に上つているのであり、そのうえ、前記判示のとおり、逃亡の途中被告人は六月五日にも一〇〇万円を花子から受け取つているのである。にもかかわらず被告人が花子から金を借りていることを考えなかつたというのは不自然極まりなく、この点についての被告人の弁解は採るに足りないものと言うべきである。

以上のとおり、被告人の弁解はいずれも措信しがたく、検面調書中の強盗殺人の故意の自白は、本件犯行の全体像とも整合し十分信用性があると認めるのが相当である。

(三) 六月一五日花子の手を押し上げた行為について

被告人は、六月一五日花子が農薬を飲むに際し、農薬を持つた花子の手に自らの手を添えて同女の口に農薬入りの瓶を押し上げたことを当公判廷で否認し、検面調書中の右の点に関する供述部分は、己本検事の心証をよくする目的で述べたことにすぎないと主張する。

ところで、九月二五日以後の被告人の一連の供述については、それが取調べに当たつた己本検事の言うがままになされたものではなく、同検事の心証をよくするために迎合的になされたものとも認められないことは既に前記説示したとおりである。しかしながら、手を添えて押し上げたという右供述については、被告人も弁護人もことさらその信用性を争うのでさらに検討すると、先ず右供述が何故に同検事の心証をよくするものなのかにわかに理解しがたいところがある。即ち、同検事の本件に対する当初の心証が、前記のとおり、花子は自殺してはいない、被告人が自ら手を下して殺害し自殺を偽装するために農薬を振りかけたのだという内容のものであつたことは、その旨の追及をうけていた被告人としても十分了解していたものであるから(このことは被告人も当公判廷で認めている。)、右のように花子の手を押し上げたという供述をしたにしろ、花子の死は自殺によるものであるとの主張を維持した供述をしているかぎり己本検事の心証をことさらよくするものになり得ないことは見易い道理であり、このことは被告人としても十分認識していた筈である。そのうえ右供述に際し、直ちに己本検事が「本当か。」と反問し疑問を表明したのにもかかわらず、被告人は「検事さんの気持に沿うかどうか判りませんがとにかく国分署で一から話させてほしい。」と頼み込み、以後国分署でも同旨の供述をし、その後の検事の取調べで、右供述について単に手を添えたのでなく無理に飲ませたのではないかと追及されながらなおこれを変えることなく維持し、検証に際してもその状況を自ら再現しているのである。以上の経緯に照らせば、右供述は検事の心証をよくするためになしたものであるとの被告人の弁解はにわかに措信しえないものと言わなくてはならない。そして右供述は供述それ自体としても内容的に不自然なところはなく、五月三〇日に花子を連れ出して諸所を連れ回つた経緯や、七五〇万円の借金の返済を免れるためにはどうしても花子に死んでもらわなければならないと考えていたこととも整合するうえ、取調べの途中で撤回あるいは争う機会はいくらでもあつたのにもかかわらず一貫して供述されている点からしても十分信用性ある供述と言わなければならない。

2 殺人の間接正犯の成否

(一) 弁護人の主張

弁護人は、判示事実を前提としても、本件において殺人の間接正犯は成立し得ないと主張し、その論拠として、本件を被害者の錯誤を利用した殺人の間接正犯とすれば、その実行の着手は被告人が被害者花子に農薬を手渡した時に認められるべきであるところ、被告人が花子に農薬を手渡す行為は一面自殺教唆行為とも評価しうるのであるから、自殺教唆と殺人の間接正犯とを区別する指標が必要であるが、それは結局被害者の自殺の任意性の有無ないし自殺以外の他行為選択の可能性の有無に求めるべきである。右の観点から本件をみると花子が自殺を決意し被告人から手渡された農薬を飲んで自殺したのは、同女がもともと老人性うつ病の状態にあり自殺傾向を有していたからに外ならず、判示の被告人の一連の行為のみでは花子を物理的にも精神的にも自殺せしめ得るに足りなかつたのであるから、そのような行為の後花子に農薬を手渡したことをもつて殺人の実行行為とは評価しえず、右行為は自殺教唆のための行為にすぎないと見るべきである、と言うのである。

(二) 当裁判所の判断

(1)  先ず、本件のような場合、自殺教唆と殺人の間接正犯を区別する指標が被害者の自殺の任意性の有無にあり、その任意性は結局被害者に自殺以外の他行為を選択する可能性があつたか否かの判断にかかるという点は弁護人の所論のとおりである。しかしながら、弁護人が、被害者の他行為の可能性について「被害者は別に身体的強制をされていた訳ではないのであるから、例えば与えられた農薬を他所へ投げ捨てる等して自殺以外の方法を採る」余地があつたと述べている点については、他行為の可能性の有無はこのような物理的強制の有無という観点のみから判断されるべきものではなく、心理的強制の有無という観点からも検討されなくてはならず、従つて、被害者の自殺が心理的強制下でなされた場合であつて他行為選択の余地がない限りはその自殺は任意のものでないと認めるべきである。しかも、威迫を手段とする場合のみでなく、本件のように欺罔を主たる手段とする場合でも、被害者の意思決定の自由を錯誤に陥れて奪うことができるのであるから、そのような場合もまた右間接正犯を成立させ得る心理強制の範ちゆうに当然含まれると言うべきである。そこでこれを本件について見ると、判示のように、被告人は花子を欺罔威迫してその自宅から連れ出し、一七日間に亘り諸所を連れ回つたり、自宅や春山の空家へ花子を一人で潜ませ、その間同女に対し警察に逮捕されれば身内の者に迷惑がかかるなどと申し向けて親族との接触を断ち、花子が行くところはもはやどこにもないという状況を作り出すとともに、身内に迷惑がかかるのをさけるためにも自殺しかとるべき道はないと執拗に申し向けて同女を心理的に次第に追いつめ、六月一五日には、警察の追及が間近に迫つていることを伝えてその恐怖心をあおり、唯一頼るべき被告人自身ももはや同女を庇護することができないことを告げたうえ、残された最後の隠れ場所である大河原の小屋がないことを確認させ、ついにこれ以上逃げるところもないと方途を見失つた同女に自殺を決意せしめたのである。即ち花子の自殺の決意は出資法違反との被告人の五月二九日の欺罔威迫に基づく錯誤を基本にし、五月三〇日以降の長期間の逃避行とその間の被告人の執拗な自殺の慫慂と、もはや行くところはどこにもないと思わせる演出の結果である。謂わば警察に追われているとの錯誤を基本とし、その上にもはや自分はどこにも行くところがないとの錯誤を重ねさせ、その状況を逃れるには自殺以外に方法はないとの被告人の示唆を受け入れざるを得ない状況に花子を追いこんだのである。それ故右錯誤がなければ花子が自殺の決意をしなかつたであろうことは容易に認められるから花子の自殺の決意は重大な錯誤に基づくものであり、とうてい任意の決意によるものとは認められないのである。弁護人は、花子が自殺を決意したのは直接的には同女が老人性うつ病に罹つており本来的に自殺願望をもつていたことによると主張しているが、これは何ら証拠に基くものではなく、弁護人の単なる推測によるものに過ぎない。かえつて、前記医師田中和雄(検)によれば、同女は概ね月一回ないし二回高血圧と胃腸神経症の治療に通つていたが、最後の五月二五日の時点では高血圧の症状も全く見られなくなつて、最近身体の調子が良くなつたことを喜んでいたことが認められ、亀沢イネ(検、)、丙川月子(検、)、野間カツ(検)及び塩川常義(検)ら近隣の人々の供述によつても、花子は身体こそ強くはなかつたものの人付き合いもよく、部落での交際も円滑に行つており、ゲートボールが好きで毎日のようにその練習に打ち込んでいたこと、六月のゲートボール大会で選手に選ばれ、ユニホームまで作つてその日を楽しみにしていたことなどの事実が認められ、同女が老人性うつ病に罹り自殺願望を抱いていたというような事実は全く窺うことができないのである。そうすると、花子が自殺を決意するにつき基本的な錯誤を与えたのは被告人であり、また花子が心理的に自殺に追いつめられる全過程に同行し自殺を慫慂したのも被告人であり、さらに右全過程はあらかじめ被告人の計画したところによるものであることを併せ考えれば、被告人の花子に対する支配は極めて強力であり、被告人と花子との間には明らかな利用被利用の関係があるから、被告人の正犯性を十分認めることができると言うべきである。よつて被告人の行為を単なる自殺教唆行為であるとする弁護人の主張は採用できない。

(2) ところで、本件を間接正犯による殺人とする場合、その実行の着手時期については、被害者花子の生命に対する具体的現実的危険を生ぜしめた利用者たる被告人の行為の開始時期とすべきであるところ、本件の場合、弁護人主張の農薬を手渡した時期に花子の生命に対する具体的現実的危険がより強くなつたのは勿論であるけれども、花子が農薬による自殺を決意した時に、既に同女の生命に対する具体的現実的危険が発生したと認められるから、これと接着するところの花子に最終的な自殺を決意せしめた判示罪となるべき事実冒頭に記載した被告人の言動をもつて実行の着手と見るのが相当である。

3 二項強盗の成否

刑法二三六条二項の強盗罪(以下、二項強盗という。)の成立には、強盗の故意及び暴行脅迫をもつて「財産上不法ノ利益」を得ることが必要である。本件の場合強盗の故意については前記に詳論したので、本項では財産上不法の利益を得たか否かにつき若干の検討を加えておくこととする。

右の「財産上不法ノ利益」とは、同条一項の強盗罪との対比から、一項にいう財物の取得と同視しうる程度の具体的、現実的な利益でなければならないが、債務の支払を免れることも、それが具体的、現実的な債務の支払いを免れることであれば右の財産上の利益に含まれることは当然である。本件の場合、花子の被告人に対する債権はその額も七五〇万円と定まつており、その支払期日等は格別定められていなかつたものの、それは判示のように被告人が花子から騙取に等しい方法で交付をうけたからであつて、右事実が判明すればただちにその返還請求を受けることは確実であり、しかも早晩右事実は露見する虞れが強かつたと認められるものである。被告人は右のような現実的具体的債権債務関係にあることを十分認識したうえ、これが発覚して花子から右債務の履行を迫られるのを免れる意思で同女を殺害したと認められるのであるから、そのような場合には、被告人について、そのこと自体をもつてただちに二項強盗(殺人)罪が成立すると解すべきである。本件の場合、花子には相続人のいることが証拠上明白であるけれども、相続人の存否というような刑事手続上確定困難な事情によつて犯罪の成否が左右されるというのは不自然であり、同様にして、相続人からの支払請求の有無或いは生前の債権者からの債務支払いの督促の有無、債権証書の有無等後発的あるいは偶発的な事柄に犯罪の成否をかからせるのは正しい解釈とは思われず、又、一般的な法常識にも反すると言うべきである。(最判昭和三二年九月一三日、刑集一一巻九号二二六三頁、最判昭和三五年八月三〇日、刑集一四巻一〇号一四一八頁、最決昭和六一年一一月一八日)。よつて、本件については被告人に対し二項強盗罪の成立を認めるのが相当である。

第二判示第二の二の恐喝未遂について

被告人は、判示第二の二の恐喝未遂について、判示の日時ころ被害者の戊木二郎と会つたことは認めるが、その際「金を出せ。一〇〇万だ。」などの脅迫はしていないと主張する。

しかしながら、鹿児島地方裁判所加治木支部のなした証人戊木二郎に対する証人尋問調書によれば、同人は判示日時ころ現場巡視から帰る途中、被告人から呼びとめられ車を停めたところ、車内に乗り込んできた被告人から、「金だ。一〇〇万だ。」などと判示のとおりの文言を申し向けられて脅迫された旨明確に証言しており、これを疑うべき理由も見当たらず、しかも、右証言は同裁判所がなした証人丁村春子に対する尋問調書中の同女の「三月五日ころの昼すぎころ戊木から電話があり『今日辛田という男から金を要求された。』と聞いた。」旨の証言によつて裏付けられているのである。

被告人は、「その日は戊木と会つて丁村さんを元気づけるために電話をしてくれと頼んだ」という趣旨の弁解をしているが、本件第二及び第三の各犯行の全体の経緯、被告人と戊木及び丁村の関係からして被告人が右のようなことを戊木に頼むということはとうてい考え難いことであつて、右弁解は措借するに足りない。

(累犯前科)

被告人は、(1)昭和五四年四月二四日鹿児島地方裁判所で有印公文書偽造、同行使、詐欺未遂の罪により懲役一年に処せられ、同五六年二月二六日右刑の執行を受け終わり、(2)その後犯した傷害、業務上過失傷害、道路交通法違反の罪により同五七年五月一七日鹿児島地方裁判所加治木支部で懲役一〇月に処せられ、同五八年八月三一日右刑の執行を受け終つたものであつて、右各事実は検察事務官作成の前科調書及び右各前科に係る判決書謄本によりこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法二四〇条後段に、同第二の一及び二の各所為はいずれも同法二五〇条、二四九条一項に、同第三の所為は同法二〇八条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、それぞれ該当するところ、その所定刑中判示第一の罪については無期懲役刑を、同第三の罪については懲役刑をそれぞれ選択し、前記の各前科があるので刑法五九条、五六条一項、五七条により、判示第二及び同第三の各罪の刑について、それぞれ三犯の加重をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるが、判示第一の罪につき無期懲役刑を選択したので、同法四六条二項本文により他の刑を科さないで、被告人を無期懲役に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

まず、判示犯行全般についてその動機を見ると、そのうち判示第一及び第二の各犯行は、被告人が生活費などの金銭に窮した揚句敢行したものであるが、被告人が経済的に困窮したのは、自ら額に汗することを厭つたからに過ぎず、いわば被告人自ら招いた結果と言わざるを得ないものであつて、その動機原因に格別斟酌すべきところはない。また、判示第三の犯行は、被告人が判示zzの各犯行の被害者である丁村春子と戊木二郎との仲を理不尽に嫉妬した揚句の犯行であつて、これまたその動機に何ら見るべきところはない。

ことに、本件強盗殺人事犯(以下、単に本件犯行とも言う。)は、判示のように、世事に疎い独り暮らしの六四歳の老女を巧妙に欺罔し、その預貯金の殆んどを引き出させてこれを手中にするや、その返還を免れるために同女を自殺に追いこんで殺害したというものであつて、何物にも代え難い貴重な人の生命と多額の財産を奪う極めて悪質な犯罪である。とりわけ、本件犯行の極めて特異な点の一つは、その犯行が被告人が直接手を下したものではなく、被告人の巧妙な詐術を手段としてなされたという点である。即ち、被告人は花子を盲信させて金員を交付させる過程において、長期間に亘り折にふれて小心で人を信じ易い花子の性格を見抜き、判示のような種々の詐言詐術を駆使し、近隣の人々から、「被告人の言うことはおかしいから気を付けるように。」との助言を受けてもいた花子をそれにもかかわらず被告人に盲従させ、最後までその盲信を覆えさせなかつたのである。被告人が花子に対していかに巧妙な詐術を弄したかは自ら明らかと言うべきである。さらに、花子を自殺に追い込むに至る一七日間の経緯についてみれば、「おばさんは出資法違反によつて、三、四か月刑務所に入らなければならない。」などと偽り脅して恐怖心をあおる一方で、「おばさんが捕まれば親戚の人が迷惑する。」などと執拗に申し向けて花子と近親の者とのつながりを断ち、さらに「近所の人にも白い目で見られる。」などと申し向けて花子と近隣の人々とのつながりをも断つて同女を心理的に孤立させ、頼るべきは被告人しかいないと錯覚させるとともに、その間同女を車に乗せて福岡、下関はては鳥取まで連れて回つたり、山中の空家に潜ませるなどして虚構の逃亡生活を送らせて同女を精神的、肉体的に疲弊させ、六月一五日の犯行に際しては、被告人しか頼るべき人がいないと誤信している花子に対し、「自分も迷惑している。もうこれ以上おばさんをかばいきれない。どうするか自分で決めやらんな。」などと申し渡して同女の絶望感を決定的なものにして自殺を決意させているのであつて、被告人はその要所要所で的確に花子を欺罔威迫して自殺へ追いつめているのである。以上のように、本件犯行はまさに被告人の他人の心理をあやつる巧みな詐術、弁舌によつて敢行された巧妙かつ大胆な計画的犯行であると言わねばならない。たしかに、本件では被告人は自ら手を下して花子を殺害してはいない。しかし、被告人が自ら手を下さなかつたのは、自殺させれば殺人罪にはならないという被告人独特の狡猾な打算によるものであるにすぎず、それ故、自ら手を下さなかつたことをもつて量刑上有利に斟酌すべき事情であるとは言えず、むしろ被告人が花子を自殺に追い込んで殺害する前記のような過程をみれば、被告人は花子に一七日間に亘り逃亡生活の不安や孤独を味わわせ、精神的にも肉体的にも虐待し続け、ついには自殺を決意するまでの絶望の淵に追い詰め自らの手で農薬を飲むに至らせて殺害しているのであり、その殺害手段の卑劣さ冷酷さは自ら手を下して殺害した場合に優るとも決して劣るものではない。さらに見方を変えれば、本件犯行は被告人に対する花子の信頼を逆手に取り、それを利用して同女を殺害したものとも言えるのであつて、その手段はまことに卑劣である。

また、被告人が本件によつて債務の履行を免れた七五〇万円は、花子の預貯金のほぼ全額であり、同女はその死亡時に二五七七円を有するだけになつていたのであつて、被告人はまさに花子からその有金を搾り取つているのであり、その経済的被害も甚大である。もとより、同女には何らの落度はなく、同女は騙されて預貯金を根こそぎ取り上げられたうえ、自殺の決意にまで追いこまれながら最後まで被告人への信頼をすてなかつたとみられるのであつて、被告人こそが自分を自殺へ追い込んでいる張本人であることを知らないまま「あとのことは頼みます。」と言いつつ死んで行つたのである。しかも、花子は独り暮らしながら近隣の人達ともよく交際し、ゲートボールを何よりの楽しみとし、六月の大会では選手に選ばれてユニホームまで揃えてその出場を楽しみにしていたというのであつて、被告人によつて殺害されなかつたならば今も平穏な生活を送つていた筈である。にもかかわらず、何ら責められる理由はないのに、被告人に同情して金を貸したばかりに被告人に脅迫され、遂には自らの手でその生命を断ち、山中にその遺体を晒さざるを得なかつた同女の胸中は察するに余りあるものがあり、まことに哀れである。これを冷静に敢行した被告人の本件犯行は、まことに冷酷無残であつて悪質極まりないものと言わざるを得ない。

次に、右強盗殺人に限らず本件一連の犯行において特筆すべきもう一つの点は、その犯行が偶発的な事情によるというよりは被告人の顕著な犯罪的性向によつて犯されたと言うべきところが窺われることである。即ち、強盗殺人の事犯についての前記のような巧妙な詐術に加え、判示第二の各恐喝未遂の事犯においては、被告人は被害者らの弱味を握るや先ず女性である丁村春子を脅迫し借用証を書くように求め、「借用証があれば恐喝にはならない。」とうそぶいたり、金員の喝取に失敗すると、今度は同女に執拗につきまとつて畏怖困惑させる言動をなして肉体関係を強要し、同女を長期間その要求に従わせて弄んでいるのであつて、それら本件各犯行の一連の経緯をみれば、被告人は、他人の弱点を握るやなりふり構わず長期間執拗につきまとい、遂に相手を絶望させて被告人の意思に従わせるという、まことに冷酷な手段によつてその目的を実現させているとしか言いようのないものである。さらに被告人は強盗殺人においては、それまで花子方に再三出入りし、また五月三〇日花子を連れ出すところを亀沢イネらに目撃されているにもかかわらず何ら躊躇することなく犯行を遂行しているのであり、さらに、六月一五日に警察官に花子の行方を追及され明らかにその疑いが自己に向いていることを知りながら敢えて犯行を実行し、犯行後警察の追及をうけても、逃走という通常考えられる手段をとらないばかりか、逆に警察に怒鳴り込んでその犯跡を隠蔽しようとし、そのかたわら、花子が乙山に対して有していた債権の残金をなおも取り立てようとさえしているのである。そこには罪を犯し人を苦しめることへの逡巡を見ることができない。

以上のとおり、被告人の本格各犯行はいずれも極めて悪質であり、右の被告人の極めて根深いと見られる犯罪的性向や、被告人はこれまで四犯の前科を有し、刑務所への入出所を繰り返していること、本件判示第二の一の犯行は前刑出所後僅か約八か月後の再犯であることなどに照らせば被告人の刑責はまことに重大であると言わねばならない。

従つて、被告人が強盗殺人の犯意などを否認しながらも、自己の行為が原因となつて花子を自殺させたことは認め、同女に対して哀悼の意を表し、しよく罪として法律扶助協会に三〇万円を寄付していることや、また、本件第一第二の各犯行が遊興費などを主たる目的にして敢行されたものではないこと、離婚はしたものの元の妻の雪子のもとには被告人もその養育の責任を負うべき三人の幼児がいること、その他本件記録にあらわれた被告人に有利ないし同情すべき事情を全て斟酌してみても、前記のとおり、本件判示第一の犯行が計画的かつ執拗なものであり、手段が冷酷無慈悲であつて、結果も極めて重大であること、遺族の被害感情が大きいこと、判示第二及び第三の各犯行も判示第一の犯行と軌を一にするものであつて被告人の犯罪的性向は極めて根深いと認められること等の諸事情に照らせば、未だ法定刑の下限である無期懲役刑を減軽すべきものとは考えられず、従つて、被告人を無期懲役刑に処するのはやむを得ないと考えた次第である。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官須藤 繁 裁判官徳嶺弦良 裁判官坂梨 喬)

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